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2012年8月3日

【チャンスを掴め!】

by katsuyuki.hara

~あるプロジェクトの頃~

「私の考えたこのアイデアが事業化できるかも知れない!」

千載一遇のチャンスが、
わたしの眼前に迫ってきた。

わたしは、


ひとつのプロジェクトをスタートさせようとしていた。

発端は
『電脳書斎(BRAIN BOX)』という
事業をわたしがプランニングしたからだ。

20代のわたしは
事業のヒントを得ようと
ニューヨークに渡航したり、
図書館に籠もって文献を探索したり
知恵を絞りに絞って考え抜いた。

それは、ある飲食店の地下に遊休地があり、
「この地下を活用する方法を考えよ」という
指令がわたしに出されたからだ。

アイデアを出すことは好きだったが、
そんなに大それたことを考えるのは始めてだった。

そして『電脳書斎(BRAIN BOX)』の模型を
つくったり、いままで知り合った専門家や、この人は
という方々にアドバイスを求めたり、紙の上で何度も
なんどもシミュレーションを重ね、企画書をまとめた。

その内容というのは

簡単にいうと、
ターゲットは、ブレインワークを
中心に活動している知的な人々だ。
現在のオフィス機能をコンパクトにまとめ
ひとつのボックスの内部に結集させ、
いつでもどこでも「知的生産」が可能な書斎だ。

単体でもユニットでもOKであり、
空港、駅構内、駅前、リゾートオフィスなどに設置する。

企画を依頼された飲食店の地下の遊休地に
『電脳書斎(BRAIN BOX)』を多数設置し、
この地下の空間を「知的空間」にしようというのが
企画の主旨だ。 さらに『電脳書斎(BRAIN BOX)』は
全国どこでもあり、いちいちオフィスに戻ったりせず、
「知的生産に集中できる」ことと「時間の有効活用」に
貢献できる便利なボックスを想定した。

その『電脳書斎(BRAIN BOX)』の内部の中でも
最大の目玉は『B-TRON』だった。

人間の思考形態に非常に近く、
発想の支援を徹底的にサポートしてくれる
思考のためのマシンだ。
これを内部に組み込もうとしていた。

当時、
その『B-TRON』は「トロン」という
プロジェクトの一環であり、産業界、教育界に
旋風を巻き起こし始めていた。

トロンとは
トロン(TRON: The Real-time Operating system Nucleus)は、
理想的なコンピュータアーキテクチャの構築を目的として、
1984年に東京大学の坂村健博士によって提案された
新しいコンピュータOS仕様であり、産業界と大学の協力のもとで、
まったく新しいコンピュータの体系の実現を目指している。
(トロン・プロジェクト オフィシャルホームページより)

現在、トロンOSは多くの携帯電話やデジタルカメラ、
カーナビゲーション等の家電に組み込まれている。
日本が世界をリードする多くの製品を動かす基本ソフトだ。
世界で最も使われている基本ソフトの一つだ。

また近未来のユビキタス社会において中心的役割が
期待されている。

当時の私は
何よりもトロンの思想に1番惹かれた。

それは
真にコンピュータを
だれにでも使えるものにしなければならない。
という立場にたっているからだ。

トロンは坂村健博士により提唱されたコンピュータの
オープンアーキテクチャであり、トロン仕様書は、
全世界の誰にでも公開されている。

その仕様書を、なんと全世界のメーカーに無料で公開。
たちまち内外140社が集まりプロジェクトが結成された。

今までの技術積み上げ式のボトムアップからの発想ではなく
考えられる限りの「理想の未来から」、
本来のコンピュータはどうあるべきかという
「トップダウンからの発想」をしている点に私は強くひかれた。

TRONプロジェクトは、身の回りの環境にコンピュータ
組み込みの「カシコイ」機器を遍在させそれらを
ネットワークで結ぶことにより人々の生活を助ける。
そのため、モバイルを含めたサイズのコンパクト性、
リアルタイム性を、特に指向している。
インタフェースの面からも
「イネーブルウェア(Enableware)」というコンセプトで
障害者対応を考えてきた。

上記のような思想にわたしは強くひかれた。

こういう考えに基づいたコンピュータを
わたしの考えた『電脳書斎(BRAIN BOX)』に
ぜひ取り入れたいと思った。

わたしは、当時『B-TRON』発展のため中心的役割を
していた東京のソフトウエア会社に連絡をとり
何とかこの事業企画に賛同していただけないかと
説得をしに東京まで単身で乗り込んだ。

その会社の社長は、わたしの情熱と勢いに
「協力しましょう」と言ってくれた。

そして『B-TRON』ソフトウエア懇親会の
メンバーの方々に私を紹介してくれた。
わたしが考えた『電脳書斎(BRAIN BOX)』の
アイデアは好評だった。

「着眼点」が面白いと
企画を依頼していただいた飲食店や関係者も
乗り気になりきつつあった。

わたしも『B-TRON』ソフトウエア懇親会の
メンバーの一員になり、あの当時、マスコミに頻繁に
登場していたプロジェクトリーダーの坂村健先生と
顔を合わせるようになった。

ところが
事態は思わぬ方向に・・・ このプロジェクトは、
とんとんと順風満帆のように進みかけた。
わたしも「自分が考えた夢が実現しそうだなあ」と
安心しかけていた。

そんなある日、
事態は急展開を告げたのだ。

平成元年、超大国アメリカから『トロン』に対して
横やりが入ったのだ。日本に対し、アメリカ通産省は
スーパー301条を発動し、輸入制限や報復関税の
制裁措置をちらつかせた。トロンプロジェクトに
参画していた多数の日本メーカーは次々とトロンから
撤退を余儀なくされたのだ。

そのため当然、わたしと関連していたソフトウエア会社も
手を引くようになってきた。

「えっ、『目玉』と思っていた『トロン』がなくなる・・・」
わたしの目の前は真っ暗になった。

それ以降、
潮が引くように様々なものが私の手元から離れていった。
多くの借金も抱え、人々も離れてしまった。
ものの見事に暗礁に乗り上げた。

『電脳書斎(BRAIN BOX)』のアイデアは
「幻の企画」となってしまったのだ。
企画倒れとは、この事だと実感した。

しかし、
その時、わたしは強く思った。

「このままでは俺は絶対に終わらない」と。

「『電脳書斎(BRAIN BOX)』を
超える企画を絶対に考えてみせる!」
と29歳の私は堅く心に誓った。

すると
人生とは不思議なもので 「チャンスの女神」は、
ふたたび私の目の前に現れてくれた。

それは10年後の39歳の時に訪れた。

VISION ART METHOD(ビジョンアートメソッド)
という名の女神だ。 おかげさまで今年で14年目を迎え、
3回もの 『ビジョンアート夢実現パーティー』を
開催させていただけるようになってきた。

ビジョンアートメソッドというアイデアは
決して順調に14年目を迎えたのではないが、
わたしには以前の企画を出した時になかった
『志』があった。 どんな困難がきてもへこたれなかった。

そして現在、何より多くの方々が喜んでくださっている。

以前の『電脳書斎(BRAIN BOX)』と
『VISION ART METHOD(ビジョンアートメソッド)』の
違う点は
『電脳書斎(BRAIN BOX)』を考え出した時、
わたしはワープロさえも打てなかった。
パソコンのパの字も触ったことがなく、キーボードや
コンピュータアレルギーだった。
企画書の書き方もわからなかった。
アイデアは自分だが、企画書も人に頼んで文字を
打ってもらっていた。
プレゼンの仕方もわかっていなかった。
人前に立って説明しても、話があっちこっちに飛び
シドロモドロだった。
それぐらいのお粗末なレベルの能力だった。

その他のことも、何でも人に頼り迷惑もいっぱいかけていた。
つまり全く実力がないのに、情熱だけでコトを
進めていた。
今から考えるとお恥ずかしい限りだ。

一方、
『VISION ART METHOD(ビジョンアートメソッド)』を
考え出した時は、ここが決定的に違った。
『VISION ART METHOD(ビジョンアートメソッド)』
わたしの今まで体験したこと、わたしの思想、
わたしの知識、能力の総体として創造開発したことだ。

つまり、
どこから切っても私の分身なのだ。

創造開発するまでに必要最小限のスキルや、
知識を身につけていた。開発後も、どんどん
知識を蓄え、パソコンのスキルも習得していった。
それも私の場合、すべて「独学」だ。
わからないところは書籍やインターネットで調べ、
それでも判明しない場合は人に訊いて習得した。
だから、失うものも恐いものは何もなかった。

『VISION ART METHOD』は自分自身なのだから
つぶすならつぶせ、殺すなら殺せと、
一種開き直りというか
達観した心境で進めていったのが幸いしたのだと思う。
腹を括(くく)って「真剣」にやってきた。
以前の時とは違う。

あまり一喜一憂することなく、淡々と「やりたいこと」と
「やるべきこと」を行ってきた。

そして、『VISION ART METHOD』は最初の段階で、
ビジョンアートメソッド自体のビジョンを
カラフルに図と言葉でまとめていた。

【身の丈に合わせて進化向上していこう】と。
現在、
当初考えたビジョンに非常に近くなってきている。

また、トロンプロジェクトも
ここ数年、時代の変化と、
あれだけどん底になっても這いつくばってきた
開発者の坂村先生や大勢の技術者の方々の
地道な努力の甲斐があり、見事に復活を遂げ、
トロンを使った製品も世界中で普及し、
次世代ユビキタス社会の中核になりつつある。

あれから約10年以上の時が経つ。

私の眼前に2度訪れた
「チャンス」から得た結論。

「チャンス」というのは、いつ訪れるか分からない。

だから「チャンス」をずっと待つのではなく、
いつ「チャンス」が訪れても
「大丈夫です。私に任せて下さい」という
「実力」を蓄えておいた方がいい。

そう、
一番大事なのは
【自分の、この手で掴むことなんだ!】

「この手で掴む」とは
常に
「自分を知り」
「社会の動向を知り」
「自分を研いでおく」
「自分を磨いておく」 そして
「主体性」を持って「自分の手で」「掴む」ことだ。

「運に頼ることなく」「諦めないで」「身の丈で」
「地道に」「自分を研いでおく」

すると「チャンス」と「自分の準備」と「タイミング」が
ピッタリとマッチする。
【諦めさえしなければ】「復活のチャンスは必ずある」 失敗したって、
「腹をくくって」、事に当たれば
いつからだって、挽回はできる。

現在、
「チャンスを掴むとは」
「ああ、こういうものだったのか」と

私は実感している。

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