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2012年8月12日

【独学者・南方熊楠】

by katsuyuki.hara

~原 克之の18歳の頃~

 

わたしは、和歌山紀伊田辺市行きの電車に飛び乗った。

18歳の頃、高校の試験の最中。

行き先は、


 

 

 

18カ国語が書けて話せた
博覧強記の異色の独学者・南方熊楠の記念館。

 

「ヒョェッ!」

度肝を抜かれた。

 

社会学者である
加藤秀俊氏の名著『独学のすすめ』を読んだ時だ。

その書籍の冒頭に「南方熊楠」という
破天荒かつ偉大な人物について書かれていた。

 

南方熊楠は
「独学」によって驚嘆すべき活動をした学者だった。

 

 

子供の頃から、
今でいえば百科事典である
『和漢三才図絵』を本屋で立ち読みし、

道すがらそらんじ、
帰宅後は、頭に入れていた知識をノートに書き写し、
膨大な百科事典全てを記憶した。

 

日々の行動も記憶しており、日記なども数ヶ月分をまとめて書けたという。

 

人間的には奇異な行動もしていたが、
これは基本的に照れ屋で恥ずかしがりの性格から来ていたようだ。

 

簡単な略歴は、

慶応3年和歌山に生まれた
南方は18歳で上京して大学予備門に入ったが、
ドロップアウト。

 

その後、
ひとりでアメリカに渡り
原野で動植物の採集をしながら放浪を続け、
西インド諸島に渡り、

 

さらにイギリスに行って天文学の論文を
『ネイチャー』に投稿し、のちに大英博物館に就職して
日本関係の資料の整理にあたる。

 

世界的放浪のあいだにすさまじい読書力と記憶力で、
ありとあらゆることを頭の中につめこんだ。

 

実際に独学で身につけた18カ国語が書けて話せたという。

南方の著作は『南方熊楠全集』として刊行されているが、
博覧強記とは、こういうことかと驚愕される。

 

当時の日本では独学ということで評価されなかったが、
世界はミナカタを認めていた。

 

自然保護運動も盛んに行った。

 

明治26年にロンドンにて真言密教の僧侶、土宜法竜と出会い、
30年以上、往復書簡による親交を続け、お互いに啓発しあった。

 

晩年には粘菌学の大家として天皇陛下へのご進講も行った。

 

南方のような天才にとっては、

学校に行くことより、
世界を放浪し、自分で植物を集めたり、
民族学や博物学を研究し、

 

膨大な量の論文を世界中に発表するといった人生のほうが、
よっぽど面白く性にあっていたのだろう。

 

 

南方熊楠を知った時、高校生だった私は考えた。

 

「こんなスケールの大きい凄い日本人がいてたんか!」

 

「勉強って何や?」
「学ぶってどういうことか?」
「学校で勉強するってどういうことや?」

その疑問を抱え数年を過ごした。

 

「どうしても南方熊楠に会いたい!」

 

南方熊楠は他界してから数十年たっていた。

 

だが、

記念館は残っていると書物で読んだ。

 

高校3年の試験のまっただ中、
わたしは試験をほっぽり出して
南方熊楠記念館に向かった。

 

和歌山に到着した。

 

しかし、当時、記念館はさびれ荒れはて、閉鎖状態だった。

 

「しっ、閉まっている」
「せっかく何時間もかけて大阪から来たのに」

 

だが、
何としてでも記念館に入り、南方熊楠に会いたかった。

 

高校生の私は、
記念館の近くの人々に片っ端から声をかけた。

 

「私は大阪からはるばるミナカタに会いに来たんです、
どうしても記念館を見たいんです」と、

 

口べたで、言葉足らず、貧弱なボキャブラリーを、
身振り手振りと心の底からの熱意で補い、多くの人に説得を重ねた。

 

必死だった。

 

すると
記念館の関係者の人を知っている人が現れ、

「そこまで熱心なら」 と高校生の私ひとりのためだけに
記念館の重いドアを開けてくれた

 

そこには

直筆で書かれた熊楠の膨大なノート類、
熊楠が読み大切にとっておいた世界中の文献、

 

「南方曼陀羅」と呼ばれる、
南方の独自の宇宙観が書かれた図解が展示されていた。

 

また、熊楠の採取した数々の粘菌類。

 

さらに

石膏で象った南方本人のデスマスクがあった。
また常人の比ではない重さの南方の脳があった。

 

それらの展示物は、
生前の南方の人生をほうふつとさせる展示内容だった。

 

そして南方熊楠の臨終の時の写真パネルが掲げてあった。

 

自分の好きなことを、心ゆくままに、とことん追求した
人生を「生き抜いた」者だけが持つ、充実感と満足感を
かみしめているかのような、おごそかな死に顔だった。

 

その空間には異様だが凛とした神聖なる気が漂い、
「知の巨人」の存在感があふれていた。

 

わたしは、その雰囲気に圧倒されながらも

 

「よしっ、俺は独学で行くぞ!」と決心した。

 

前述の『独学のすすめ』にこんな文が載っている。

 

「一般的にいって、

『やる気』にみちた人間の人生は充実しており、
それにひきかえ、『やる気』に欠けた人間の人生は
不幸であるようにわたしにはみえるからだ

 

『教育』というものの基本的な目的と意味は、
ひとりひとりの個人に、人生にたいする意欲をつちかうことにある。

 

意欲ある人生を送ることのできる人間
――そういう人間をつくることが教育の使命なのである。

 

そして、いまの日本の社会での教育の根本問題は、
むしろ意欲を圧殺している

とあった。

 

だいじなのは、意欲ある人間をそだてることである。

 

なにごとかをなし遂げようという内面的な燃焼炉を
心のなかにもった人間をつくることである。

 

そういう人間は、こんにちの制度のなかでは
優等生になれないかもしれないが、
にんげんとしての、ほんとうの優等生なのだ

 

これらの言葉がずっしりと高校生の私のこころに響いた。

 

高校生のわたしの疑問の答えは
南方の生き方にすべてあった。

 

南方熊楠の人生。 学校に行かず、
好きなことを「独学」で、とことん堪能し世の中に役だった。

 

ひとことで語ると「意欲」の人生であったと思う。

 

50代になった
私が今、現実に、人々の「意欲」を引き出す
ライフワークであるビジョンアートメソッド

「独学」によって
創造開発し、楽しんでいる不思議を思う。

 

 

 

※上記写真は、臨終の南方熊楠。南方熊楠記念館サイトより
http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/





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