「れおなるど・てんぷう」って何だ?

「人間って、こんなにすごいことができるのか!」

あの時のインパクトは、

50代になった今でも残っている。

小学生の時に、
NHKで連続放送をしていた
『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯』
(イタリア国営放送RAI製作 Renato Castellani監督作品)
を観た。

「ひとりの人間の可能性や才能というのは、
ここまで多面的に広げ深められるのか!」と
小学生だった私は圧倒された。

レオナルド・ダ・ヴィンチは
何よりも「万能の天才」の体現者だ。

画像の説明

絵画、彫刻、建築、音楽、哲学、解剖学、
医学、築城、土木、造兵術、科学等において
造形が深く、それぞれの分野で才能を
遺憾なく発揮した。

絵画においては
『白貂(てん)を抱く婦人』の高貴さ、
一連の聖母子像の微笑や素描に秘められた
精神性の奥深さと 気品、優美さを象徴した
芸術性に、わたしは魅了された。

大胆にも子供心に

「こんな人になりたい!」と思った。

また、
人生を模索していた25歳頃、
中村天風師の存在を知った。
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波瀾万丈の人生を送り、
各界の精神的支柱となった明治の気骨だ。

華族に生まれ、
文武両道に恵まれ、
軍事探偵になる。
無理がたたり奔馬性肺結核となり
医師から死の宣告を受ける。

ところが、病の体をおして、
人生探求と病を治すため、
医学、哲学、心理学等の書籍を読みあさった。

さらに世界中の識者や偉人を訪ねてまわった。

しかし、
いっこうに治らず、
諦めて日本に帰ろうとした時に、
エジプトのカイロでヨガの聖者と出会い、
インドに渡り難行苦行の末、
日本人初のヨガ直伝者となり、
ついに病を克服した。

帰国後は銀行の頭取、数社の会社を経営し
大成功を治めた。

だが、
思うところがあり、
今までの財産を投げうって、
人としてどう生きるかを大説法し、
天風哲学・心身統一法を編みだした。
多くの逸材を世に送り出した。

英語、中国語、ドイツ語も堪能だったという。

さらにコロンビア大学を主席で卒業、
ドイツのベルリン大学にも学び、
それぞれの大学で医学博士、哲学博士号も取得した。

大佛次郎の小説『鞍馬天狗』のモデルでもある。

「こんなに壮大なスケールの人物が

日本に存在していたのか!」と

心底ビックリした。

わたしは中村天風師の哲学が大好きだ。

私の天風哲学の解釈は、
「いかなる状況も喜びと感謝で迎えよう。
それが本来の積極だ。
そして日常に行う言行を
少しでも世のため人のためになるよう心がけよう。
また、人の喜びを恩に着せず、
世のため人のためになることを行動すること自体を
自分の楽しみや喜びとしよう。
人の喜びを自分の喜びとしよう」と
いうものだ。

20年ほど前、
中村天風師の写真を拝見した時

「これは本物や!」と直感した。

実にいいお顔をされていた。

男として粋で格好いい。
武道の達人で、絵画、書、踊りも名人級で、
度胸と愛嬌があり、羽織姿もスーツも様になる。

男前でダンディ、滅茶苦茶モテたそうだ。

92歳で他界される直前まで
ロシア語の単語を勉強されていたという
向学心の持ち主だった。

中村天風師は

何よりも理論理屈だけではない【実践者】だった。

私は特に、そこに惹かれる。

自分でも、
なんともおこがましいが、
「れおなるど・てんぷう」
というハンドルネームは、
尊敬しているお二人の師から
直感的につけたハンドルネームだ。

わたしが、心から尊敬してやまない

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と
「中村天風」、 お二人の巨人の名前を
シンプルに組み合わさせて
いただいた。

ほんとに
未熟なわたしだが、
少しでも近づきたいと思い、
命名させていただいた。

この名前を使う時、
いつも
「あっそうそう。名前に恥じない行動をしないと
いけないな。こんな怠惰なことしてたらあかんな」
と思い、気を引き締める。

わたしにとって
尊敬し憧れている2代巨塔である人物には、
現状の私は、
メチャクチャほど遠い人間だが、
毎日、自分らしい努力を積み重ねて、
少しでも近づこう。

50代になっても、
自分のライフワークであるビジョンアートメソッドを通じ、
少年の頃の夢を実現しようと頑張っている。

「こんなケッタイな人間が

この世にひとりぐらいいてもいいかなっ」

と思っている。

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